カートピア資料庫から、創刊号のドライブ記事に使った120モノクロネガフィルムの6×6ベタ焼きが2枚見つかりました。当時のスタッフによる番記メモや二重露光したミスショットもあり、フィルム時代の雑誌制作の一端を知ることができます。ここでは、本誌の記事と貴重なベタ焼きから、1972年の日本のドライブ事情にせまってみました。
色文字は創刊号の引用です。
50年前の7月に第1号が発行されたカートピアはA5判36ページ。うち3ページを使ったドライブ企画は「あ・ら・かると・ドライブ」というタイトルで、“読者諸君のご注文に応じて編集部がご調製する、いわばドライブの一品料理”という趣旨になっていました。記念すべき第1回「佳[よ]いところばかり走った」の内容を本文を抜粋しながら追ってみましょう。ルートは当時富士重工業本社があった西新宿をスタート地点として埼玉県の正丸峠、群馬県と長野県の県境にある十石峠、長野県の麦草峠を経て一泊二日で新宿に戻るという“編集部推選のいささか日本式カミカゼ風に味つけしたアルペン料理”でした。当時の峠道はほとんどが未舗装のダート路だったようで、十石峠に至るルートも“数年前にくるまが通れるようになった”と紹介されています。読者が同じルートを走ることを想定していたのか、本文では走行ルートを詳しく紹介しています。“新宿から青梅街道を瑞穂町へ、右折して入間市から飯能市に入る。飯能の市街を抜けると高麗川に沿った国道299号線を走る。以前にも走ったことのある道だが、この国道が遙か十石峠を越えて続いていると思うと、何となく胸が弾んでくる”とあり、レオーネで峠のダート路を走ることを楽しみにしていた様子が伝わってきます。記事はこの後、“正丸峠を越えて秩父市へ。ここで国道140号を長瀞[ながとろ]まで走る”と続きます。“平日のせいか観光客の姿は殆どない。河原にくるまを乗り入れ、石の上で昼寝をしている人たちの仲間入りをする。十石越えのベースを、埼玉と群馬の県境の鬼石町ときめて来た。とすれば、距離はあとわずか、急ぐ旅でもないのである”
翌朝8時に鬼石の町をスタートし、下久保ダム沿いの道を走り中里村で秩父からの国道299号に合流。“道は勿論非舗装、巾は一車線半ほどだが、対向車が殆どないので、土埃りも気にならない”と路面状況をていねいに描写しています。国道といえども舗装されていないところが多かったことが分かります。この後記事は佳境に入っていきます。
“乙母(おとも)という珍しい名の集落を抜けて間もなく、道は峠への登りにかかる。国道とは名ばかり、一車線やっとの林道まがいの道が、岩山を拓き、低く枝を張った樹樹の緑を潜って伸びていた。数羽のセキレイが先導してくれるかと思うと、絶え間なく白い花びらを落とすアカシヤのトンネルが突然あらわれる。道を横切ろうとした山鳥が一瞬見事なポーズで静止して見せるかと思うと、可憐な山ツツジを一杯に咲かせた自然の生垣が道端を飾っている。人をアッと驚かすような奇勝などはカケラほどもないのだが、都会育ちのボクなどムセかえってしまうほどに濃厚な自然が、これでもかこれでもかというように迫って来るのだった。路面はかなり荒れていたし、昨夕の雨がいたるところに大小無数の水たまりを作ってもいた。その水たまりをあるいはハンドルでかわし、時にはバシャーンと蹴散らかして、ボクはまったくゴキゲンに突っ走った。一生に何度と味わえないような、それは素晴らしい山岳ドライブだった。佐久の町まで一台のくるまとも擦れ違わなかったが、こんなことも、珍しい経験だ。
そんなこんなで佐久の町まで一気に走ってしまったボクは、感動の余韻をじっくり味わうために、八千穂村から大石峠、麦草峠を経て茅野市に向かう道を辿った。標高二、一八五米の麦草峠まで登りつめるこの道は、非舗装部分がかなりあるとは言え、十石峠と違って幅員は十分だし、パノラミックな眺望を楽しめる、なかなか快適なアルペン・ドライブウェイだった。
頂上の麦草ヒュッテで遅い昼食を取り、草の上の陽射しの中に横たわって、風の囁きや小鳥の呼ぶ声をかすかに聞きながらまどろんだ時、ボクの今度のドライブは殆ど終わったと言って良い。だから、茅野への下りでのパンクや茅野から新宿までの道程については、別に書かない”
佐久から麦草峠を経て茅野市に至る後半の道も、現在では国道299号となりメルヘン街道と呼ばれています。ルートマップを見るとこの後、茅野から甲府を経て大月までは一般道を走り、大月から調布まで中央自動車道を使っています。1972年当時、中央自動車道はまだ首都高速とつながっておらず、調布から大月までしか開通していなかったのです。ルート全体を通じて高速道路を使っているのはこの区間のみでした。高速道路網が発達した今なら、自宅最寄りのICから目的地近くのICまで高速道路で移動できるので、このルート設定は1972年ならではのものと言えるでしょう。そこで今回、このルートを忠実にトレースして50年前のドライブ気分を味わう旅に出かけました。