量産車の開発とモータースポーツ。それはSUBARUの進化にとって、切り離せないものであった。世界レベルのモータースポーツへの挑戦は1990年のWRC(世界ラリー選手権)参戦に遡る。「SUBARUを世界一にする」という志のもと、世界の強豪と競い合いながら、モータースポーツと量産車が相互に高め合う密接な関係がつくられていった。
世界トップへの挑戦は、初めから順風満帆だったわけではない。ライバルに対抗するための極限のハイパワー化、さらに世界中の過酷な環境での全開走行によって、走るたびにトラブルに見舞われた。だが、WRC参戦に合わせて構築したグローバルなチーム体制がやがて功を奏すこととなる。心臓部であるエンジンの設計は、燃焼システムなど先進技術が必要なため国内で担当。そしてモータースポーツのノウハウが不可欠な車両開発とメンテナンスは、ラリーチームを置く英国で行われた。
英国は世界中のトップエンジニアとサプライヤーが集結する場所。日本では稀有な特殊素材や高度なノウハウが得られるというメリットがあった。また一戦一戦、迅速な対応が求められる現場では、発想の違うアプローチが不可能を克服した。例えば、日本人なら少しずつ軽量化を進めて最適解を探すが、英国では長年の経験とセンスから驚くほどの軽量化を導き出すのだ。そんな精鋭が集う現場で英国に渡った日本のエンジニアたちも日々鍛えられていった。
そして、初参戦から4シーズン目の1993年WRCラリーニュージーランドで記念すべき初勝利を獲得。そして同年、WRCで勝つことを目的に生まれたインプレッサWRXが1000湖ラリーにおいて2位表彰台という鮮烈なデビューを果たす。その後のWRCでの活躍はご存じのとおりである。
1994年には年間10戦中3勝。1995年は初戦のラリーモンテカルロの勝利から、ライバルを圧倒し年間8戦中5勝して悲願のWRCマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得。同時にSUBARUで育った英国人ドライバー、コリン・マクレーがドライバーズチャンピオンになり、世界レベルのモータースポーツでダブルタイトルを手に入れる栄冠に輝いた。この勢いはさらに加速し1996年、1997年とSUBARUは3年連続でマニュファクチャラーズチャンピオンに輝くこととなった。
操る歓びこそSUBARUの真骨頂。
WRCにおけるSUBARUの最大の強みは、BOXERを縦置きにレイアウトしたシンメトリカルAWDがもたらす運動性能であったと言っても過言ではない。直列4気筒を横置きにしたライバルたちが電子制御に頼ってクルマを曲げていたのに対して、ドライバーの意図したとおりに曲がるSUBARUの素直なハンドリングが、ドライバーのポテンシャルを引き出していく。
コリン・マクレー(1995年)、リチャード・バーンズ(2001年) 、ペター・ソルベルグ(2003年)。3人のドライバーが本格参戦してから数年でWRCチャンピオンにまで駆け上がったのは、SUBARUだから成し得た成果と言えるだろう。
3人に共通するのは、クルマをスムーズにコントロールして高いコーナリングスピードでタイムを稼ぐドライビングスタイル。彼らが走るとフロントタイヤですら中央から均等に減っていく。それは彼らの並外れたテクニックはもちろん、低重心+重量バランスに優れたSUBARUのスムーズな走りの証明であった。とくにWRCのなかでもハイスピードコーナーが多いフィンランド、ニュージーランド、英国など、高い運動性能が試されるグラベル(未舗装路)のロングステージでSUBARUは強さを発揮した。
そしてソルベルグがドライブしたインプレッサWRCは、前後左右の重量バランス、サスペンション、デフのセッティングを突き詰めて回頭性を高めるとともにエアロダイナミクスによるダウンフォースでトラクションを稼ぐ技術が順次導入され熟成を重ねた。
SUBARU BOXERを核とするシンメトリカルAWDレイアウト、ボディ&シャシー、エアロダイナミクスで走りを極める。これらの知見はSUBARUの真骨頂であるドライバーの「意のままの走り」として、今なおクルマづくりの根幹を貫いている。
闘うことで育まれた技術とスピリット。
EJ20、その30年の歴史は、モータースポーツとともに鍛え上げられた軌跡である。1989年のデビュー当時、最高出力は220馬力であったが、2017年には329馬力へと、じつに100馬力を超える出力向上を遂げている。同型の量産エンジンにおけるこれほど大きな進化は、他に類を見ないかもしれない。
WRCのレギュレーションで規定されたリストリクター(吸気制限装置)の装着を余儀なくされた厳しい条件のもとで、ライバルとしのぎを削ったパワー競争。そこから生み出されたターボの過給や燃焼効率を高める技術が、やがて量産車へとフィードバックされていったのである。
ツインスクロールターボ、吸気の縦渦化、等長排気システムの導入、そして動弁系、燃焼室形状の最適化、エンジンマネジメントシステム等々……。これら多くの技術によって、EJ20は進化を続けてきた。
WRCに携わることで技術はもちろん、クルマへの愛と情熱を大いに育んだエンジニアたち。彼らの多くが、その後量産車や基礎研究など様々なプロジェクトを手掛けるリーダーとして成長し、現在のSUBARUを牽引している。モータースポーツとともに進化を重ねた30年。その技術とスピリットは、SUBARUの未来をつくるDNAとして、これからも生き続けていくに違いない。