Vol.05大人気の先輩をサポートする
ベテランバイプレーヤー
キハ40形小湊鉄道株式会社
SUBARUの前身富士重工業が、2002年で鉄道車両の製造を終了してから20年以上経過しましたが、
この度2021年、2022年に新たに富士重工業製の鉄道車両を5両導入した鉄道会社があるという情報を得ました。
果たしてその背景にはどのような経緯があったのでしょうか?
キハ40形
小湊鉄道株式会社
看板車両キハ200形
今回お邪魔した小湊鉄道は、千葉県市原市五井に本社を置く1917(大正6)年創業の会社で、現在は鉄道のほか、路線バスや観光バスなどの事業も営んでいます。鉄道路線は本社屋のある五井駅から房総半島を南下して、夷隅郡大多喜町にある上総中野駅まで39.1㎞全18駅の単線です。
現在も電化はされておらず、最近まで1961(昭和36)年から1977(昭和52)年までの間に日本車輛で製造されたキハ200形14両を運用していました。珍しい非電化路線の気動車ということもあって、鉄道ファンからの人気も高い車両でしたが、さすがに車歴60年を越えて、8年に一度行うオーバーホール時に使用する部品も調達が難しくなってきたため、現在は14両中11両が在籍し、そのうち日々稼働しているのは6~7両という状況です。
そこで、キハ200形をサポートして運用する車両としてキハ40形に白羽の矢が立ったのです。JRからの引退車両導入に携わった執行役員の廣瀬英一さんにお話を伺いました。
「キハ40形を導入した一番の理由は、お客様やファンに愛されているキハ200形を少しでも長く使いたいということです。キハ40形はキハ200形よりもひと世代後に作られた気動車で、丈夫で長持ちの車両として知られ、台数も多く製造されていたため、現在も全国各地のJRで活躍している車両も少なくありません。また、キハ200形と構造が似ているため、整備がしやすく、台車もキハ200形と同じコイルバネを使ったものでしたので、小湊鉄道の線路状況に合っており、安全面からもキハ40形がベストでした。今回導入した5両は、エンジンも生産台数が多く、信頼性の高いアメリカのディーゼルエンジンメーカー、カミンズ製のものに載せ替えられており、部品の調達も当分の間心配ありません。また、キハ200形では車両駆動用とは別にエアコン用のサブエンジンを搭載しており、レイアウト上ラジエーターが車両側面に取り付けられているため夏の暑さが厳しい日には効きが悪かったのですが、キハ40形はエンジンで稼働できるエアコンを搭載済みでしたので夏場も快適にお乗りいただけます」
キハ200形と比べるとボディサイズがひと回り大きいのですが、車内にトイレがあることや、座席レイアウトの違いなどで、定員はキハ200形が160人であるのに対し、キハ40形は90~120人と少ないため、朝夕のラッシュ時にはキハ200形を使うケースが多いそうです。運転士や駅員からは、「運転台がキハ200形よりも高い位置にあるため、本線を走るときには視界が良くて楽だが、点検庫など狭い構内を走る際には慣れが必要」「重低音のエンジン音がいさましい」「汽笛の音が大きくてびっくりする」などのコメントが寄せられています。また、キハ200形はエンジンを換装せず、全車両オリジナルエンジンを搭載していたため、キハ40形の導入に合わせて整備面も新たに学んだそうです。
「キハ200形のエンジンは、ひと昔前の機械だけで造られたものでしたから、多少不具合があっても水と空気と燃料があればなんとか動かすことができたのです。それに対してキハ40形は古いとは言えコンピュータが導入されていますので、ちょっとした故障でも手が付けられないところがありました。そこで今回、キハ40形を導入するにあたって、JR秋田、JR福島、JR四国などに整備や運転の担当者が出張し、車両について詳しく学んできました。導入してから2年が経ちますがエンジン整備については今も勉強中です」
小湊鉄道導入にあたってお色直し
「今回、キハ40形を小湊鉄道に導入するにあたって、鉄道ファンの方から“オリジナルの車体色を残してほしい”というご要望がありました。そうした声を反映して、導入した5両の車両には以下のような化粧直しをしました」
(情報発信室の廣田尚土さん)
(2021年 JR東日本仙台支社から購入 前在籍庫:郡山総合車両センター)
・キハ40-1
小湊鉄道色に再塗装
(2021年 JR東日本仙台支社から購入 前在籍庫:郡山総合車両センター)
・キハ40-2
東北地域本社色(通称只見色)のボディ色を生かし、導入時の塗装を現状維持
(2022年 JR東日本秋田支社から購入 前在籍庫:秋田総合車両センター)
・キハ40-3
首都圏色(通称タラコ色)に再塗装
(2022年 JR東日本秋田支社から購入 前在籍庫:秋田総合車両センター)
・キハ40-4
男鹿線色のボディ色を生かし、導入時の塗装を現状維持
(2022年 JR東日本秋田支社から購入 前在籍庫:秋田総合車両センター)
・キハ40-5
首都圏色(通称タラコ色)に再塗装
「塗装に加え、インバウンド需要に備えて、英語、中国語、韓国語、日本語の4か国語で音声と文字による案内表示ができるモニターを各車両に設置しました。GPSを利用して自車の位置を把握し、自動で情報提供を行うシステムです」(廣田さん)
廣瀬さんと廣田さんに案内していただいて、操車場に待機していた車両を見学させていただきました。運転台の外側にある銘板には「宇都宮 富士重工 昭和54年」とあり、1979年に富士重工業で造られた車両であることが分かります。車両の前後に運転台があり、側面には小湊鉄道のロゴマーク「K.T.K」が描かれていました。
乗降用の扉は左右前後に2か所ずつありましたが、首都圏色に再塗装をしたキハ40-3の扉には、ガラスを覆うように柵が取り付けられていました。どこかものものしい感じもあり、廣瀬さんに聞いてみると、「乗降用扉の柵は単線を走行する車両がぶつからないために用いているタブレットを受け渡しする際に、タブレットが窓に当たらないようにするための保護柵です。秋田から来たときには付いていなかったのですが、古い資料写真をもとにオリジナルに近い状態のものを作って取り付けました」とのことでした。全線単線の小湊鉄道では、同じ区間の中に他の列車が入ることのないよう、閉塞方式で運行しているのですが、列車が自動で閉塞を行う自動閉塞区間のほか、今も手渡しによる票券閉塞式、スタフ閉塞式を用いた区間があり、そこではタブレットの受け渡しを行っているのです。
車内は乗降口近くの一部にベンチシートがあり、片側に二人がけの対面席、もう一方には一人掛けの対面席がレイアウトされていました。一人掛け対面席側とベンチシートの上には吊革が設けられていました。一方の運転席側にトイレがあるのですが、現在は使われていません。参考のために見せていただいたキハ200形は全席ベンチシートで吊革付き。天井には後付けの大きなエアコン装置とクラシカルなムード漂う扇風機があり、製造された年代の違いを感じることができました。
キハ40形をキッカケに
キハ40-1、キハ40-2が小湊鉄道に来た2021年、本社にあった会議室をリフォームして、五井駅前に『こみなと待合室』がオープンしました。喫茶・軽食をとることもでき、鉄道や高速バスの待合室としてだけでなく、地元の人も気軽に利用することができます。また、線路側にはベンチのある広場が設けられ、ホームや検修庫に出入りする車両を間近に眺めることもできるようになりました。ローストしたコーヒーの香りが漂う店内には列車の行先表示板や駅の案内看板などと一緒に、小湊鐵道にキハ40形がデビューしたときに作られたポスターも飾られていてキハ40形を歓迎する気持ちが伝わってきました。
「キハ200形には元々ファンがいましたが、キハ40形にも熱心なファンの方がいて、そのような方が遠方からわざわざ訪ねてくださるのです」と前出の廣瀬さんは言います。「千葉県を始め首都圏には高度経済成長期に東北から引っ越してきた方が多く住んでいます。そんな方が子供時代に故郷で親しんでいたのがキハ40形の車両です。オリジナルの塗装を残した車両もありますので、懐かしさからこの車両に会いにくる方も多いですね」
そう話す廣瀬さんご自身も1977(昭和52)年に故郷の岩手県から千葉県に来て小湊鉄道に運転士として就職したそうです。「当時は五井駅前も未舗装で、周囲は畑しかありませんでした。風が強くて岩手よりも寒い感じがしたことを覚えています」
キハ40形導入をキッカケにしたイベント列車も企画されました。22年夏には、五井機関区見学後、臨時列車「キハ40ナイトトレイン号」に乗車する貸し切りツアーを実施。23年1月にはJR東日本千葉支社といすみ鉄道との共同企画として「急行かずさ号で行く房総横断夜行の旅」を開催。こちらはJR東日本外房線の大原駅からいすみ鉄道のキハ28形・キハ52形を連結した急行「かずさ」号に乗り、いすみ鉄道と小湊鉄道との乗り換え地点、上総中野駅でキハ40形との撮影会を行い、その後はキハ40形に乗って五井駅まで移動して社内で一泊するというツアーでした。「その際、ツアー参加者にプレゼントしたのが小湊鉄道がプロデュースして作ったモケット生地の枕です」と廣田さん。キハ40形などの車両の座席に使われている生地で作ったもので、車両の保守点検整備を行う工場にストックされていた絶版品の生地を使ったそう。
地元を愛する人たちと共に作る沿線風景
小湊鐵道の沿線では、春は菜の花畑や夜桜のライトアップ、11月~12月には駅前のイルミネーションを楽しむことができ、観光客の人気を集めています。こうした沿線風景は、地元に住んでいるボランティアの方々の協力を得て作られているそうです。
「キッカケは沿線に休耕地が増え、荒れ地が増えてきたことでした。荒れていく里山の風景に心を痛めたボランティアの方が集まり、秋に菜の花の種をまいたのです。その花が春に一斉に咲いて、荒れ地は黄色い絨毯を敷いたような風景になりました。そんな里山の風景の中を昭和の時代に活躍したなつかしい気動車が走る姿を見ようと、多くの観光客が集まるようになりました」と廣瀬さん。周辺に売店や飲食店の無い駅に訪れる観光客のために、休日には駅のスペースを利用してお弁当や飲み物、小湊鐵道グッズなどを提供する臨時売店を出店しているのもボランティアの方々です。
「毎年11月~12月には、みなさんが手作りでLEDランプなどの道具を購入して、各駅ごとに特徴的なイルミネーションを作ってくれます。小湊鐵道としても駅にある電源をお使いいただくなど、お手伝いをしています」
こうした沿線風景の維持管理活動を行っているのは「南市原里山連合」のみなさん。小湊鐵道沿線の23のボランティア団体から約200名がメンバーとして活動しています。小湊鐵道でも、里山の風景を取り戻す試みとして“逆開発”を始めました。逆開発とは、舗装をはがして植樹するなど、一度開発された場所を自然の状態に戻すことで、五井駅や養老渓谷駅前の敷地でスタートしています。
キハ40形が走る昭和の時間
珍しいタブレット交換の様子を見ようと、上総牛久駅に出かけました。中村駅長は車両が到着する10分前に閉塞区間の先にある里見駅に専用回線の電話を使って列車が入ることを連絡します。△印の付いたタブレットを肩に掛けて、列車が入線するホームに移動して到着を待ちます。「キハ40形のエンジン音は200形よりも低くて響くので、風向きによっては6キロぐらい先からでも聞き分けることができるんですよ」と中村さん。確かに車両の姿よりも先に力強いエンジン音が聞こえてきてやがて視線の先に緑のラインが描かれた男鹿色のキハ40形が見えてきました。線路の起伏を受けているのか、左右にゆさゆさとボディを揺さぶりながら入線。ドアが開いて乗降客が降りてくると運転士さんがホーム側に顔を出し、駅長と一緒に△のマークを確認してからタブレットを受け取ります。お客さんの乗り降りが完了したのを見届けて駅長が発車の合図。フォン!と身体に響くような大きな吹鳴をひとつ鳴らすと、ブルルル…とエンジンの回転数が上がり、少しずつ速度を増しながらタタン、タタンとジョイント音を残しつつキハ40形の姿は小さくなっていきました。
キハ40形が入線する前、別の番線から五井方向へのキハ200形が出ていったときのことです。その時も駅長が運転士に合図します。「そのお客さんが乗ったら出発」改札口から小走りに線路を横切って男子学生が一人向かい側のホームに停車していたキハ200形に乗り込みました。が、車掌はまだ発車の合図を出しません。少しするとホーム端にあるトイレからご高齢の女性が出てきました。誰も急かすことはなく、その方がキハ200形に乗ったのを見届けると車掌は扉を閉め、キハ200形は乾いたエンジン音を響かせてゆっくりとホームから離れていきました。急に訪れた静寂の中、遠い空から、かすかなひばりの囀りが聞こえてきました。令和の時間で生活していると、このような場面にはなかなか出合えません。
単線、気動車、タブレット交換…。昭和の時代にはごく身近にあったこれらの風景と共に暮らしていた人たちの中には、それに似つかわしいおおらかな時間が流れていたのでしょう。今、沿線の人たちが様々な形で小湊鐵道に関わってくれるのも、キハ200形やキハ40形のエンジン音の中に、昭和の時間を感じとっているからかもしれません。
小湊鐵道株式会社Kominato Railway Company
1917(大正6)年5月19日創立。設立当初は内房の五井から房総半島を横断し、外房にある観光地安房小湊までを結ぶ列車として計画されました。1925(大正14)年3月五井~里見間(25.7km)の営業を開始。1928(昭和3)年、五井~上総中野間開通。1947(昭和22)年乗合バス、1949(昭和24)年観光バス、1951(昭和26)年タクシーの営業を開始。1997(平成9)年にはアクアライン開通に合わせ、高速バス路線も開業しました。2015(平成27)年クリーンディーゼルエンジンを搭載した現代版機関車を先頭車に窓ガラスのない展望車と窓付き車両計4両を連結した里山トロッコ列車の運行を開始。創立100周年を迎えた2017(平成29)年には「沿線住民と協働した里おこし活動」がグッドデザイン賞を受賞しました。
(提供:小湊鐵道)