追突事故の際に乗員のむち打ち傷害を軽減する
クロストレックの後面衝突頚部保護機構メーカーを知る | 2024/11
むち打ち傷害の発生メカニズム
追突事故などで後面衝突を受けた際、後方から衝突を受けると乗員の身体はシートによって支えられたまま前方に動きます。それに対して重量のある頭部は慣性によりそのままの位置に残ろうとします。その結果、身体と頭部が別々のタイミングで力を受けてしまい、頚部がむちの動きのように振れて頚部への損傷が生じます。このようにしてむち打ち傷害が発生します。
■むち打ち傷害発生プロセス
後面衝突時の乗員の挙動は、図のように①から②で通常姿勢で湾曲した脊椎がシートバックに押されることで急激に直線化(伸びる)する。
③では身体のみが前方へ押し出されるため、頭部と身体に相対的なずれが生じる。この際頚椎はS字に変形され頚椎管内の髄液の圧力変化(NIC)が生じる。
④では頭部が後方へ回転する挙動(伸張挙動)となる。
日本の自動車アセスメント『自動車安全性能2023』で実施された衝突安全性能評価において、クロストレックは運転席・助手席の「後面衝突頚部保護性能」で、Level5/5 合計得点11.83/12(得点率98.6%)を獲得しました。これは今回評価を受けた16台中最高得点です。この評価はクルマが後部から追突された際のむち打ち傷害を想定したもので、シートのみで完結する性能であるため、アセスメントの試験もクルマから外したシートを治具にセットして後面衝突を再現した動きを与えて行います。評価試験では、シートに座らせたダミーの頭部、頚部、脊椎、腰部に取り付けた計測装置から得られたデータから複数の指標の数値を算出します。この中でも、頭の重心位置と首の付け根に当たる第一胸椎に取り付けた加速度センサーの数値から算出される頚部傷害基準(Neck Injury Criterion:NIC)は、乗員の身体と頭部の負荷(挙動)に相対的なズレが生じ、頚部が変形することによる損傷のリスクを評価する指標であり、むち打ち損傷を代表する重要な項目です。結果の数値が小さいほど乗員への損傷も少なくなります。クロストレックは16台中最小の8.9という結果を記録しました。
クロストレックのシートに秘められた、むち打ち傷害軽減の工夫
冒頭でご紹介したように、後面衝突の際、頭部と身体の相対的な挙動差が生じる要因として、頭部の拘束が身体よりも遅いことが挙げられます。シートに座ると分かりますが、運転姿勢を取ると背中はシートバックと接触しており、頭部はヘッドレストに接触せず、後方に隙間が存在します。仮にこの空間を無くし、頭部も身体と同様に常にヘッドレストに接触して固定された状態であればむち打ちは発生しづらいのですが、そのような状態では運転時の頭部の自由度が損なわれ、運転姿勢にも影響を及ぼし操作性や快適性が損なわれてしまいます。そこでクロストレックでは、快適な乗り心地を活かしながら、後面衝突時には頭部と身体の位置関係の差を解消するための工夫を織り込みました。
後面衝突時、むち打ち傷害を軽減するための理想的な人体の挙動を考えると、胸部と頭部はできるだけ同じ動きをさせることが最も重要です。そこでクロストレックでは、シートバックに身体を沈み込ませる特性を持たせました。具体的には、シートバック下部にある“ランバー”という金属製のワイヤーと樹脂パネルでできたパーツの取り付け方や、シートフレームへの吊り方を考え直す検討段階で、従来の横位置に吊っていた構造から縦位置に変更し、内部にあるフックやバネなどが身体の沈み込みを阻害しないことに配慮して後面衝突時に身体がシートフレームの内側に入り込みやすいようにしたのです。シートはむち打ち傷害対策以外にも、さまざまな機能や性能が要求されるため、これまでに積み重ねてきたノウハウはできるだけ変えたくないのですが、今回はシート構造を刷新するタイミングでもあったため、部署を越えてさまざまな立場のメンバーが意見を出し合い、理想の挙動は何か? を決めてそこに至る手法を考えながら部品に落とし込んでいきました。これに加えて、ヘッドレストの取り付け位置や角度を最適化し、それぞれの挙動差を小さくし頚部にかかる負担を低減しています。
さらに、身体がシートバックに沈み込んで頭部がヘッドレストに当たった後、頭部が後屈する挙動(図④)で頚部に変形や伸びが発生します。この動きもむち打ち傷害を悪化させるため、クロストレックのヘッドレストは頭部を後屈させずに受け止めるように、ヘッドレスト内部にある鉄製の骨組みを覆っている固いPP材の形状にも工夫しています。
0.3秒にかける思い
むち打ち対策性能を達成させるだけではクルマのシートとして成り立ちません。乗り心地の良さや長く乗って疲れないことなど、シートに求められる機能は多岐にわたります。私の担当領域も、むち打ち対策だけでなくシートおよびシートベルトの強度や、それらが締結している車体の強度を含めた室内安全性能全般に及びます。一例を挙げるとシートベルトアンカーはシートフレームに取り付けられているため、前面衝突時にシートベルトが乗員をしっかりと拘束するためには相当なシート骨格の強度が必要です。同様にシートがボディに締結されている部分にも衝突時には大きな荷重が加わるため、締結部のボディ強度も高くしなければなりません。一方でこのように各部の強度を上げるということは、むち打ち対策性能と相反する場合もあるのです。
追突時の挙動は、約200~300msec(0.2~0.3秒)という一瞬で起きるので、そのわずかな間の事象を一つひとつ見極めて分析し、時系列で変化する乗員の挙動に対して、シートがバランス良く機能を発揮し、乗員を拘束できるように各部品を造り込み、その他の性能と両立させることに気を配らなければなりません。他のさまざまな性能とのバランスをとる過程で苦労はありました。ただ、SUBARUの開発現場には上下関係や立場、部署の違いに関係なく、とことん話しあえる雰囲気があるので、皆で力を合わせて一つひとつ課題を解決して成果が得られたときは共に達成感を味わうことができました。
1台のクルマを10年間乗り続けていても遭遇するとは限らない追突事故の際のわずか0.3秒ほどの事象のために、ここまで時間をかけて取り組む大きな要因のひとつに、むち打ちという傷害が持つ特殊性があります。追突事故は世界的に見ても発生件数が多い事故形態なのですが、追突を受けた側のむち打ち被害は、事故直後は症状が軽微であるように見えても、事故後時間を経てから症状が現れたり、悪化したりするため、実際の発生件数よりも報告件数が少ない傷害と言われ、医学的に不明な点も多く、思いもよらない後遺症に悩まされるケースも少なくないからです。そのような傷害のリスクを減らし、運悪く追突事故に遭ってしまっても、その後再び笑顔で過ごしていただけるようにしたいというのが私たちSUBARU開発スタッフの思いです。お客様の笑顔にかけるこの情熱は、どこの自動車メーカーにも負けないと自負しています。
- 矢動丸 裕介(やどうまる ゆうすけ)
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株式会社SUBARU 技術本部
車両安全開発部 主査5豊かな自然環境に恵まれ、歴史ある蔵の街としても知られる栃木県栃木市出身。小さいころからスポーツが大好きで、小学校時代にはクラブチームに所属するなどして水泳やバスケットボール、テニスなどさまざまなスポーツを経験した。出かけるのが好きで、休日は新しい風景や人との出会いを求めてさまざまな場所を訪れている。最近訪れた中で印象的だったのは、埼玉県大里郡寄居町にある埼玉県立 川の博物館。観覧車ほどの大きさの木製大水車は一見の価値があるという。また、インドアの趣味として小学生のころからアクリル絵画制作を愉しんでおり、現在は友人の結婚式のウェルカムボードや、子どもの運動会に飾るポスターなど、リクエストに応じた作品を制作している。「自分が作ったもので人を笑顔にしたい」という思いは、現在の仕事にも共通するといい、制作に入ると時間を忘れて集中する。