スバル1000を撮影した写真の中に、最近SUBARU BRZで
訪れたのと同じ場所で撮影したカットを見つけました!
場所は、能登半島の白米千枚田。ほぼ同じアングルで
撮影しています。風景も細部は異なっているものの、
全体の雰囲気は変わっていませんね。
今:能登半島、白米千枚田沿いの国道を走る
SUBARU BRZ S ダークグレーメタリック
昔:能登半島、白米千枚田沿いの国道を走るスバル1000
こちらも能登半島の観光名所見附島(軍艦島)。
珪藻土でできた島の形は変わりませんが、現在は
手前の駐車場にクルマを駐めて近づきます。
今:現在の能登半島 見附島
昔:写真は能登半島 見附島をバックに撮影したスバル1000
発売前の1965年10月21日に東京晴海で開催された
東京モーターショーで配られたパンフレットです。
その中には、こんなチラシが入っていました。
当時は、免許証を持っている人自体が少なかったことが
このチラシから伝わってきます。
今回お話しをうかがった当摩さんは、自ら国内外の
カタログやクルマ関連資料を集めてきました。
膨大な資料を保管するために、引っ越しして専用の保管庫
をご自身で作りました。床のレールとそこに使用する
ベアリングも工業用の強固なものを使っています。
当摩さんの近著『富士重工業”独創の技術”で世界に
展開するメーカー』(三樹書房)は、当摩さんの
コレクションの中から富士重工業に関するものを
ピックアップして収録。1958年から2015年までの
SUBARU車をカタログのカラー写真で見ることができます。
http://www.mikipress.com/books/2015/12/post-259.html
写真:
当摩節夫さん。著作の『富士重工業”独創の技術”で
世界に展開するメーカー』と共に